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    9/28/2009

    中秋节のジョークニュース

    中秋節が近づいてくると、時々こんなジョークネタが回ってきたりする。

    一昨年に、誰からだったか忘れてしまったが、教えてもらったのが、これで、

    今年は、同じWEBサイトのものだが、別バージョンのこちら

    が全く別の人から来た。

    どちらも、自分の名前がWEBニュースの中に出てきて驚く、というものだ。

    一度上記のページを表示して、下の方にある入力欄に相手の名前を入れると、その名前が組み込まれたURLが表示されるので、それを相手に送ればよい。

    ブラウザがFirefoxやSafariなどだと、アドレスバーのところに名前が漢字で出てしまうのでバレてしまいやすいが、IEなら16進文字のままなのでバレにくそうだ。

    特に下の名前の方も1文字の人は同姓同名が多いので、そういう人に送ると、同姓同名の人かと思って騙されてもらえる確率が高くなる。

    まあ、私のところにも全く別個の人から届くくらいだから、もう結構みんなに知れ渡っているのかもしれないが。

    9/27/2009

    日中カラオケコンクール

    9月25日(金)に、第12回日中カラオケコンクール決勝大会を見に行ってきた。中国語ドットコムでプレゼントの企画があって、ゲストにローラ・チャンと書かれていたので(笑)、気軽な気持ちで応募してみたら、応募者が少なかったのか、しっかり当選してしまった。中国語ドットコムのプレゼント企画では、今までにも何度も当選している。

    当選したのは、ペアチケットなので、ひとりで行くと1枚余ってしまう。カニチィで、誰か欲しい人がいたら差し上げますとメッセージを出したが、自分も当選したという人が現れただけだった。そんなわけで、1枚はもったいないがゴミ箱行きとなってしまった。

    中国語のカラオケの大会といえば、去年、ここにも書いたように、たまたま中国語講座に通っていたところのホールで全日本青少年中国語カラオケ大会の決勝大会が行われたので見に行って、そのときもゲストがローラ・チャンだった。中国語のカラオケ大会といっても何種類もあるようだ。

    さて、会場に行ってロビーにいると、やけに派手な服装の女性がひとり。出場者の衣装かと思ったが、実はローラ・チャンだった。何か携帯電話で話しながら私の近くを通って外に出て行ってしまった。芸能人て普通の観客の来るロビーじゃなくて楽屋に入って待機してるものでは?

    中に入って席を探していると、偶然カニチィの横浜の交流会で顔なじみのAさんと出くわした。Aさんもひとりで来ていたようなので、一緒に見ることに。私は直接知らないカニチィでの知り合いが出場しているそうだ。

    ゲストは、ローラ・チャンの他に、「千の風になって」の中国語訳や、その他日本の歌曲の中国語訳版を歌っている李広宏。それから、予告には出ていなかったサプライズゲストとして、すがはらやすのりという人が来ていたのだが、失礼ながらサプライズどころかこの人のことはこのとき初めて知った。中国でもコンサート活動を行っている人らしい。

    プログラムの中で、「ゲストと客席が声を合わせ、『朋友』を合唱」というのがあった。Aさんは、朋友ってどんな曲? と、よく知らないようだったので、パンフレットに書かれていた歌詞を見ながら歌って教えてあげようと思ったが、なんかうまく合わない。おかしいな、メロディーちゃんと覚えていなかったか、まあ本番で伴奏がかかればわかるだろう、とそのときは思った。ところが実際にはじまってみると、やはりおかしい。よく見ると、印刷された歌詞が、各行ごとに後ろの方が消えてなくなってしまっているというミスプリントだった。これでは歌詞がよくわからないので歌えない。この曲はまあかなり有名な曲なので、私もカラオケで歌詞を見ながらなら歌えるが、歌詞を暗記しているわけではないので、何も見ずに歌うのは無理だ。会場の大多数の人もそうだったのではないか。結局、ほとんど舞台の上しか歌っていなかった。せっかくの企画が台無しである。主催側もそのときまで気付いていなかったのか、ミスプリに関して合唱の前に何のアナウンスもなかった。この件はちょっと残念だった。

    5/24/2009

    王心凌来日公演実現に向けての署名

    先日、ここの「あしあと」に、王心凌来日公演実現に向けての署名についてのメッセージをいただいた。せっかくなので、私も協力させてもらった。

    ここでも王心凌のことはときどき取り上げているので、検索でそれをみつけてやってきた人の目に止まることもあるかと思い、ここにも転載させていただこう。

    携帯からは

    パソコンからは

    blogはこちら


    3/19/2009

    2003年の成都小吃のメニュー

    唐突だが、中国の食事のメニューの写真を貼っておく。こちらで話題になっていたので、その対比に昔の値段のもの。2003年の10月、まだ私が中国に行き始めてそれほど経たない頃に撮った写真である。場所は、北京は三元橋の近くにあった成都小吃。まあ、発展著しい中国で、5年半もたてば値上がりもするか。

    2/15/2009

    王心凌のHoneyがすごいことになってる

    王心凌をYouTubeで検索してみると、昔は普通にプロモーションビデオとかが出てくるだけだったのが、Honeyという曲がちょっと大変なことになっていて驚いた。

    日本人がこの曲のフリ真似をしたビデオがいくつも登録されている。おそらく、この曲のCDに同梱のVCDに、プロモーションビデオとは別に、全編踊りだけを収録したビデオもついているせいで、フリの練習をしやすいせいであろう。

    フリ真似だけでなく、ボーカロイドに日本語に訳した歌を歌わせたり、3D-CGに踊らせたりした画像もあって、感心することしきりである。

    11/2/2008

    NHKニュースで簡体字

    今日、NHKテレビのニュースを見ていたら、中国人のかかわる事件の報道で、テロップで出た中国人の名前が簡体字で書かれているのに気付いた。発音は、日本語読みの発音だった。

    これまで、新聞にしろテレビにしろ、中国語のものを報道する場合には、漢字の言葉は、翻訳する場合もあるが、翻訳しない場合や名前のように元の言葉をそのまま使うもものの場合も、簡体字は日本語で用いる漢字に置き換えて書かれるのが通例と思っていたが、NHKの方針が何か変わったのだろうか?

    たまたま報道資料として入手したものが簡体字で書かれていたからというわけではないだろう。これまでだってそんなことはあったろうけれど、日本語の 漢字で書かれているのしか見たことがないということは、ニュースで必ずそういうものをチェックして必要なら修正を行なう仕組みが確立されているはずだとい うことだ。それに、テロップは手書きではないのだから、ちゃんと中国語のことを知っている人がシステムに入力してテロップにしたはずだ。それとも、昨今は そういうのもパソコン上でできて、どこかからひょいとコピペして入力してしまえるのだろうか。

    韓国語に関しては、以前は漢字で書いて日本語読みだったのを、韓国語発音のカタカナ書きに改めたという経緯もあるから、中国語でも何かそうした変更が行なわれようとしているのだろうか? しかし、簡体字で書くのは大陸の中国語を学習していない人にはいくらなんでも不親切じゃないだろうか? 同じ漢字といったって、やはり別の文字なのだから。韓国語をハングルで書いている、あるいはアラビア語をアラビア文字で書いているのと同じことだろう。実際、今回報道されていた名前に使われていた漢字は、簡体字を知らなくてもなんとなく似ているからわかるだろうという程度の簡体字ではなく、もっと難しい簡体字 (笑) だったから、知らない人には全くわからなかったと思う。

    しかし、いずれにしても、文字だけその国の文字を使って、発音は日本読みというのは、なんか一貫性がないと思う。

    さて、そう思って、NHKのwebサイトを見に行ってみると、放送のテロップでは簡体字で書かれていた文字のところだけ、日本語読みのカタカナで書かれている。ひとりの姓の1文字は漢字で、名前の2文字の漢字の分がカタカナになっている。もうひとりの名前は、全部漢字だ。中国語と日本語で同じ漢字を使うものはそのままで、そうでないところだけカタカナである。ますますわけがわからない。これは、webのエンコードがシフト JISになっていて、簡体字は表示したくともできないからかもしれないが、なおさら、なぜ普通に日本の漢字で表示しないのだろうか? カタカナで書かれていたら、これが現地読みかと思ってしまうだろうし。

    10/10/2008

    「OLにっぽん」とNKHスペシャル「人事も経理も中国へ」

    一昨日から日本テレビで観月ありさ主演のテレビドラマ「OLにっぽん」が始まった。主人公の勤める会社の経費削減の一環で総務課の仕事を中国にアウトソーシングすることになり、そのためにローラ・チャンら扮する業務委託先の中国人が、総務課の仕事をマニュアル化して中国に持っていくために研修生としてやってくるという内容である。これを見て、1年ほど前に放送されたNHKスペシャル「人事も経理も中国へ」をすぐに思い出した。冒頭のシーンからして、中国のアウトソーシング会社のずらりと並んだ端末の前で全員が入力作業をしているところなどまるでそっくりだ。おそらくこの番組に「インスパイア」されてつくられたものに違いないと思った。

    このNHKスペシャルは、見たときになんというか感銘を受けて、普通は留守録で録って見たら消すのを保存してあるくらいだ (と言いながら、それを見直しもせずに記憶だけでこの記事を書いているのだが) 。というのも、ドキュメンタリーにもかかかわらず、まるで脚本があって構成されているようなお見事な物語の展開だったからである。こちらのストーリーはこうだ。タイトルは「人事も経理も」だが、この会社では実は既に人事も経理もアウトソーシングが行われていて、次に白羽の矢が当たったのが総務ということで、「OLにっぽん」はこれとまるで同じ設定である。主人公のおじさん (ここは「OLにっぽん」と違うところ) は、当初、総務の仕事というのはさまざまなことに臨機応変に対応する必要があって、単純作業としてマニュアル化してアウトソーシングすることは難しいんだと抵抗するが (これも言ってることがまるで同じ)、しぶしぶながらも、やってきた業務委託先の中国人女性と業務移管の作業をはじめる。次第に中国人がちゃんと仕事をやってくれることがわかり、最後にはすっかり改心(笑)して、信頼して業務を移転する。そして、最後のシーンは、自分はいつまでも今までのところにしがみついているわけにはいなかくて、新しい道を切り開いて進んでいかないといけないのだと、個人情報保護関係か何かの資格を取って、新しい分野の仕事に移る、という、なんかできすぎのストーリーだった。

    さて、「OLにっぽん」の方だが、杭州で阿部サダヲが水に落ちるシーン。ちょうど先日の旅行でほんの少ししか滞在できなかった杭州の西湖でたまたま私が行った場所だった。杨洋役のローラ・チャンは、本人のキャラに合わせてセリフが書かれているからだろうが、かなり地のままな感じ。名前は、同じ漢字を並べた杨杨とかいうような名前かと思ったら、WEBを見たら姓が杨で名が洋だった。オーディションで選ばれたという张琳役はいかにも中国の田舎から出て来た女の子って感じでそれらしい。タン・ジャースーってどんな漢字? って検索すると、唐加思らしい。小旗と大龙は、それぞれ旗さん (そんな姓あるのか?) と龙さんの苗字に小と大がついたものかと思ったら、日本人のコバタさんと、姓が李で名前が大龙だった。その李大龙役の胡兵は、“粉红女郎”や“双响炮”(「恋する爆竹」)に出ていたのを見ていたのでよく見知っている。あと、まだあまりセリフのある場面がなかったようだが、なんか見覚えのある顔が、と思ったら、テレビ中国語会話に出ていた前田知恵が普通の女子社員(?)の役で出ている。中国語をしゃべる設定なのかどうか第1回ではわからなかった。

    さて、設定はNHKスペシャルそっくりで始まったが、この後の展開はどうなるのだろうか、お楽しみ。

    10/1/2008

    並木

    もうひとつ、甘粛省を旅行していて気づいたこと。

    道路脇には街路樹の並木が植わっていて、移動のバスの中から街並みをビデオで撮影しようと思ったのだが、どこもかしこも並木ばかりで、並木の向こうの建物が写らなくて困ることが多かった。今までの中国滞在の中で、あまりそういう思いをした覚えがない。

    まあ、これは実際には甘粛省近辺に特徴的なことかどうかはよくわからない。今回のような形態でバス移動の観光というものをそもそもしたことがなかったので、そのせいでそう思っただけかもしれない。徒歩で道を歩いていれば、あまり撮影の邪魔になるとかは気にならないだろうから。

    他所にも街路樹はあると思うが、地域によって木の種類の傾向とかはあるだろう。ここではポプラが多いようだった。

    9/27/2008

    細長いお茶のグラス

    旅行中に気づいたことをひとつ。

    レストランで出るお茶を入れてくれる入れ物が、普通、私が今まで中国で行ったことのある場所で見かけるものと違っていた。たいていは、日本人からしても特に違和感のない、湯のみ茶碗というか、小さい茶碗状のものか、小さい円筒形のもので、磁器製が一般的だと思う。ところが、ここでは、テーパーのついていない長い円筒形の透明なガラス製のグラスに、熱いお茶が注がれた。写真が撮れてなくてここでお見せできないのが残念。

    普通見かけないと言ったが、北京で茶芸館に行って、葉っぱを入れたまま飲むお茶を入れてくれたのは、これと同じような形状のグラスだった。しかし、ここではお茶だけ注いでくれた。

    一軒のレストランだけでなくて、行程中、蘭州から敦煌まで、何度も見たので、甘粛省のこの地域で一般的なものなのだろうか。

    9/25/2008

    ヘンな日本語3連発

    ご存知のように、中国にはヘンな日本語がたくさん存在する。今回の旅行中に遭遇したヘンな日本語を3件紹介する。添付の写真を順番に見ていただきたい。

    まず、最初は、いちばんかわいいやつから。既に、aripさんに紹介されてしまったが。敦煌陽光大酒店の、部屋に置いてある利用案内の冊子の最初にある、総支配人からの挨拶。いきなり、「尊敬するな」と否定命令形である。他はほとんど問題なくよく書けているのに、ここだけが1文字余計についているだけで、大間違いになっている。形容詞に、「の」を中国語で「的」をつけるつもりてでついついつけてしまうのは、中国人によくある間違いだが、この「な」もそれに近いものだろう。しかし、「する」に「な」をつけてしまったものだから、こんなことになってしまった。

    次は、場所は戻って嘉峪関の懸壁長城の入り口にあった掲示。これは全文書き出してみよう。

    切符を買って知らなければならない

    1、见学者は券によって见学する。
    2、学生 (成人教育を含まない) 、身体障害者、老人が本人の证明书に任せて半额の入场券を买う、 (学生证、身
      体障害の证明、老年が证明、离职休养中の干部の栄誉の证明を优遇する)
    3、切符の金额は直接はっきり数えて、あとでお许し愿って
    4、入场券が适切に保管することに责任を负わないで、セトガイは
    5、开放时间を検査する:
      夏季: 08: 30-18: 30
      冬季: 09: 30-18: 00
    告発専用電話:
      12315
      12358

    さて、これは一体どうやって翻訳したのだろう。何かの機械翻訳にかけた結果か。相当めちゃくちゃである。まず、漢字がほとんど中国の簡体字になってしまっているが、一部は簡体字でなく日本語の漢字になっているところもある。「検査」とか、「告発専用電話」とか。

    「あとでお許し願って」、なんて表現は笑えるが、「セトガイ」って何のことだろう。どこを翻訳したらこの言葉が出てきたのかわからない。5番のところに「開放時間を検査する」、と意味不明になっているが、「検査する」は、原文を見ると、本来4番の後半にあった言葉だ。そして、4番後半の、「責任を負わないで」、は、原文では3番の後半にある言葉だ。どちらも、日本語でも中国語でもわかる漢字の単語が含まれているから、日本語を知らなくたって、間違っていることはわかりそうなものだが、このまま掲示されている。

    英語の方もかなり怪しい。そもそも、英語では項目がひとつ省かれているし、身長1.2メートル以下の子供は無料なのに、半額の学生とarmymen (これも意味が違うと思う) と一緒にされている。英語では、半額のところに身体障害者と高齢者がない。日本語では、子供無料のことが全く書かれていないが。

    最後は、敦煌の観光客向けの大きな折り畳み地図の中にあった、敦煌の紹介。

    こちらは、文章としては、先のものほどひどくはないのだが、文字がめちゃくちゃだ。漢字がやはり簡体字なのはお約束として。仮名文字で、ぁぃぅぇぉ、など小さい文字があるものは、わざとのように、小さい文字を使っている。その割りに、「接っして」の「っ」 (本当は不要だが) は大きい「つ」を使っている。ひらがなの「つ」をカタカナの「フ」と取り違えているものも多い。このあたりから考えると、これは誰かある程度日本語のできる人が翻訳した手書きの原稿を、日本語のわからない人間が打ち込んだ可能性が高い。もちろん、日本語入力なんでできないので、漢字は中国語の簡体字、そして、カナは、文字表から拾うという説がある。すると、大きい文字も小さい文字もずらりと並んでいるので、先に出てきて形状の合っている小さいぁぃぅぇぉなどを選んでしまうのだと。(明木茂夫著「オタク的中国語学入門」参照)

    これらの点に気をつけて修正すれば、結構まともになりそうだ。ちょっと修正版を作成してみよう。こんな感じだ。

     敦煌は、甘粛省の河西回廊の西の方に位置て、東は安西県とあい連なって、西北は新疆と接っして南はアクサイや青海とあい連なっています。その面積は3.2平方キロメートルで、人口は18万人です。また多民族な古都で。漢族,回族、満州族、チベット族、カザフ族などの八つの少数民族が住まっています。

    あえて、面積の数字に万が抜けてるとか、他の間違いは残したが、かなり読める文になった。残りは、この調子で読み進んでいただきたい。

    しかし、敦煌のガイドさんは、あんなに立派に日本語を話すのに、どうしてこんな日本語が放置されているのだろうか…

    9/18/2008

    上海→帰宅

    8月4日

    今度の上海での宿泊ホテルは地下鉄2号線の世紀大道駅近くの、ホリデイイン。どうやって行こうかと考えたが、まあ駅から近そうなので、リニアモータータカーと地下鉄を乗り継いで行くことにした。リニアモーターカーは、行きのときにaripさんが300km/hくらいしか出していなかったと言っていたのを半信半疑で聞いていたが、実際に乗ってみるとこのときも確かに300km/hくらいで巡航に入ってしまい、結構な時間その速度を維持したあと、減速に入った。以前乗ったときは、いつも最高431km/hまで加速してほんのしばらくの後減速に入るというパターンだったのだが。

    さて、地下鉄に乗り換えて、世紀大道の駅に着くと、ルート選択が失敗だったことがわかる。駅を出ようとすると、色々と工事中で、ホテルのあるはずの側に出られない。大通りを渡るにも、はるか彼方まで行かないといけなさそうで、しかも、目的の場所が正確にわからない。あきらめて、すぐ近くのはずだがタクシーを拾う。タクシーも地下鉄駅前から最短距離では行けないらしく、ぐるぐる回ってからやっとホテルに到着。空港から直接タクシーに乗ってしまった方が楽だったかもしれない。

    ホテルで、上海在住のaripさんの義理の弟さんと落ち合う。aripさんは行ったことのない南京路に行きたいとも言っていたが、夕食を食べてでかけると時間もないので、黄浦江の夜景を浦東側から眺めに行って夜の上海の観光は終わり。ちょうどそこにいる間に、東方明珠塔まだオープン前だったが、栓抜きの形をした森ビルの上海ヒルズこと上海環球金融中心も、いちおう拝んできた。

    8月5日

    帰国して次の日は平日ですぐ会社なので、帰宅が遅くならない方がいいので、早い時間の飛行機で帰ることにしていて、朝はもう上海で観光などせずすぐに空港に向けて出発。今度は、昨日の結果を学習してタクシーで空港まで行くことにするが、どうも空港とはそっぽの方向に高速に乗らずにずいぶん行ってからやっと高速に乗った。私はこのあたりの道路はあまり明るくないので、どこをどう通ったのかもよくわからなかったのだが、結果、時間も結構かかったし、値段も結構かかった。以前、花園酒店から空港まで行ったのと変わらないくらいだ。これなら、地下鉄の駅か、龍陽路の駅まで行って、リニアモーターカーを使った方がタクシー代を2人で割っても安いし早かった。

    初めての浦東空港第2ターミナルから成田に向けて帰国。

    成田空港につくと、向こうにパンダジェットが駐機していた。

    ここで、aripさんともお別れ。自分は、町田行きの空港バスに乗って帰る。いつもは湾岸を通って行くのだが、東京が何やら大雨で交通が混乱しているせいか、別ルートを通るといって、東京湾アクアラインの方を通っていく。こんなルートははじめてだ。それでも、結局普段は2時間のところ3時間かかって到着。さらに電車を乗り継いで帰宅とあいなった。

    これにて、長い旅行記、終わり。この後、流れの中で拾えなかった、個別ネタを少し出す予定。

    9/16/2008

    敦煌→西安→上海 (飛行機)

    8月4日

    敦煌空港は小さな空港である。チェックインカウンターも5つほどしかない。そもそも、写真のように1日にこの空港を出発する便は、この前に何便かあったとしても、全部で10便かそれ以下くらいだろう。おそらくこの数日は日食関係で乗客が多く、結構混雑している。我々は荷物は全員分まとめて預けてもらう。

    蘭州からずっと我々の案内をつとめてくれたガイドの陳さんとは、ここでお別れ。ここではそれほど厳しくないセキュリティチェックを通過して、待合室に入る。待っている間に、まず我々の先に出発する杭州行きの便となる飛行機が到着。乗客は降りてきてみんな我々のいる待合室のところに入って来る。到着客と出発客が混ざってしまって、セキュリティ上問題あるんじゃないの、と思ったが、実は入ってきた入り口は外から見ると乗り継ぎ客用の入り口になってる。この飛行機は、ウルムチからやってきて、敦煌を経由して杭州に向かう。ウルムチから杭州へ行く乗客が、一旦降ろされているだけで、ここで降りるのではないので、敦煌からの出発客と同じ扱いでいいのだった。出発の案内があると、敦煌からの乗客と一緒にまた同じ飛行機に戻って行った。我々の西安行きの便も同じくウルムチから来た便だ。

    空港の建物は小さいとはいえ、まあこのくらいの地方空港ならボーディングブリッジのある空港も多いと思うが、ここは全部タラップ利用である。雨が少ないから、屋根で続いてなくてもあまり気にならない? 前だけでなく、後ろの入り口も利用している。しかし、乗客はあまり席番号を意識して前と後ろに分かれたりしていないので、ちょっと効率的でない。

    機内食は普通と少し違っていて、ボール紙の箱に入った添え物とパンと果物等が配られ、それだけかと思っていると、別にオーブンで温めた白米とおかずの入ったメインディッシュ(?)が出てきた。ウルムチから来る便だけあってイスラム系の乗客が多いせいか、機内食には「清真 MOSLEM」の文字が。イスラム教の人も食べても大丈夫という表示だ。

    敦煌空港でつけられた荷物のタグは、一般的な空港でつけられるバーコードと空港略号が大きく書かれたタグよりも、かなり小さ目の簡易的ともいえるものだった。いくら小さい空港だからといって、あまりこういうのは見たことがない。

    西安空港では第1ターミナルに到着。ここで、乗り継ぎのアシストにだけ、西安の旅行会社の馬さんが付く。上海行きの便は第2ターミナルなので、隣まで外を歩いて移動。チェックインして、馬さんはこれで終わり。中に入ると、実は第2ターミナルと第1ターミナルは通路でつながっている。西安空港はまあそれなりに大きな空港だが、私たちの乗る便は、またボーディングブリッジからではなく、バスで駐機場に移動してタラップで乗り込む。そして飛行機は上海へ。行きは虹橋空港から出発だったが、帰りは浦東空港に到着だ。

    上海に到着して。ボーディングブリッジを歩いていると、Taさんが、手荷物を上の棚に置き忘れてきた、といって引き返した。ターミナルビルに入ったところで、いちおうまだこの旅行のグループで集まって待っていると、後から出てきた全然関係ない西洋人の乗客が、我々のグループに、英語が通じるかどうか心配だったからか、おずおずと英語で声をかけてきて、携帯電話を機内に忘れなかったかという。自分の中国携帯はちゃんと持っていたので、自分は大丈夫関係ない、と思っていたら、iPhoneだという。Oh, my God! と、自分のデイパックの中にiPhoneが入っていないのを見てボーディングブリッジにとって返した。機内で、Taさんと話をしながらiPhoneを取り出して、なぜかちゃんとデイパックに戻さなかったのだ。これまでの生活の中ではiPhoneに相当するものはHP200LXを持ち歩いていたが、その場合は飛行機に乗るときはベルトにつけておけないので、必ずバッグに戻すものという行動が身についていたのだが、iPhoneになって、かなり小さくなったがゆえに、ちょっとその感覚が違ってしまったのかもしれない。人間、ルーチン的な行動と違うことをすると、間違いをしやすい。途中まで戻ると、ちょうどTaさんも、一旦出たら機内には戻してくれないので、係員に頼んで荷物を持ってきてもらうのを待っているところだった。私のiPhoneも、その西洋人乗客たちが見つけて預けてくれたのか、たまたま他の人が見つけて話しているのを聞いて、我々がそれっぽいから教えてくれたのか、とにかく、係員に言ったらすぐに出てきた。もうひとり、Oさんの子供(兄)が、メガネをどこかにやったと言ってやはりそこで機内を探してもらっていたがこちらはみつからず、あきらめて後で出てきたら知らせるからとかなんとかいっていたら、あれ、とか言って、自分のポケットだかどこかから出てきた。これで、みんなの持ち物が揃って、めでたしめでたしであった。しかし、あそこでTaさんを待ってたむろしていなかったら、私もiPhoneのことを知らせてもらえず、もっと面倒なことになっていたかもしれない。よく他人に持って行ってしまわれなかったもんだし、本当に運がよかったと思う。どうもこのところ、中国で物をなくしかける事が多くて、本当にもうちょっと気をつけなくてはと思う。

    これで、全員揃って、預けた荷物も受け取り、到着ロビーに出たところで、今回のツアーは終了。各自それぞれの帰途に就く。

    9/14/2008

    敦煌 (その4)

    8月3日

    鳴沙山から戻った後は、今夜ももう一度歩行街へ。今度はちょっと歩くのもたるいので、aripさんと2人でタクシー。初乗り5元と、北京や上海の大都会に比べて安い。まっすぐ行った歩行街の入り口に向かわず、違う方に走りだしたし、よくみるとメーターを倒してないようだったので、ちょっと警戒してしまったが、反対側の端につけた。距離は多少遠いがどのみち初乗り運賃でOKだった。表通りだと乗り降りで交通の邪魔になるからか? 自分のみやげ用に現地音楽のCDなど購入して帰る。

    8月4日

    そして、国内ツアー分の最終日。ホテルで朝食の後、敦煌空港から国内便を乗り継いでの上海に戻るだけで丸一日を費やすのだが、その前に少し。前の日からいたのだが、ヨーロッパから中国まで陸路を自動車で旅しているグループが同じホテルに泊まっていた。アムステルダムから北京まで、この皆既日食にも日程をあわせ、そしてオリンピックにあわせて北京に着く予定の、合計2ヶ月ほどの旅だ。Webサイトはこちら。出発を待つ間に、少しバスの中をのぞかせてもらったりした。嘉峪関から敦煌までハイウェイを走っただけでも、ずいぶん走ったものだと思ったが、その何十倍もの距離を、それも恐らく必ずしもきれいに整備されていない道路を走破するのかと思うと気が遠くなりそうだ。

    9/12/2008

    敦煌 (その3)

    今回の旅行最後の観光ポイントは鳴沙山と月牙泉。砂丘は昼間は暑すぎるのと、日が傾いて影がある方がいいので、遅い時間に訪れる。前にも書いた通り、経度差のせいで、実際の太陽の位置は中国の標準時間の時計より遅れた位置にあるので、夕食の後の時間でちょうどいい。そういうわけで、先に夕食。

    夕食の場で、旅行社で扱っているお土産品販売の紹介。今注文しておけば、あとで届けてくれるという。おすすめは、特産のドライフルーツ類8種の詰め合わせ。鸣沙山大枣、阳关葡萄干、敦煌香瓜、敦煌李广杏、无花果、敦煌李梅、三危山梨、枸杞と書いてある。個人的には興味があったが、おみやげとしてはちょっと不適切だ。見慣れない食べ物をおみやげに買って帰ると、たとえ実際に食べてみればおいしいものであったとしても、多くの人には敬遠されがちだ。干し葡萄の単品の箱を頼んだ。それなら別にここで買わなくても、街でもっと安くで売っているが、まあ、今回のガイドさんはよくやってくれたので、ご祝儀の意味も含めて。

    そして、鳴沙山に向かう。鳴沙山の街の南の端からはじまって、砂丘はその向こうに延々とつらなっている。 現地へと向かう車の正面に砂丘がよく見える。月牙泉のある場所は、入り口から少し距離があるので、途中を駱駝に乗って行く。その前に、砂丘の砂で靴が大変になるのが嫌な人は、お金を払って蛍光オレンジの靴カバーを借りる。関口知宏の番組でも、陳捷さんが履いていたやつだ。ちょうど私の靴は傷んで前の方のそこが剥がれかけていたが、これを上から履いてしまえば、もう関係ない。

    駱駝に乗るのは初めての体験だ。人間が乗り降りするときはしゃがんでくれているので、結構簡単に乗り降りできる。ただし、立ち上がるとき、また、しゃがむときは、大きく前後に揺れるので、しっかりつかまっていないといけない。私は片手にビデオカメラを持っているので余計に気を使う。4頭ずつロープでつながって、ひとりの人が引いてく。駱駝はおとなしく列になって歩く。途中で、一旦止まったと思ったら、カメラマンがやってきて写真を撮って行った。これは後で帰るときに、大きなプリントができて並べてあって、欲しかったらお金を払って買ってください、というやつだ。アメリカの観光地ではよくみかけたが、中国では私は初めて見た。

    駱駝を降りた後、またしばらく歩いていると、みんな駱駝と歩きでしか来ない場所に急にものものしい自動車の一団が。どうも甘粛省の省長がたまたまやってきたらしい(?)。写真に写っているのがそうか? よくわからない。

    砂丘の山に登るのに45元。中腹のところから、これも関口知宏でやっていたそりで滑って降りることができる。砂山は登りにくいのではしごが敷いてあって、そこを登る。まずは、頂上をめざすが、これが結構きつい。昨日の懸壁長城と続けてこんなに体力を使うポイントがあるとは予想していなかった。しかし、頂上まで登るとさすがに眺めがいい。はるかに連なる砂丘が見渡せる。ここに積もっている膨大な砂の量を想像すると圧倒される思いだ。陽が低いので、向かいの砂丘に自分の立っている砂丘の影がうつり、そこに自分の姿もなんとか認識できる。

    一方、登ってきた方には、月牙泉が見下ろせる。月牙泉は、テレビでは、昔に比べて水が少なくなって小さくなってきているとは言っていたが、それどころか、どういうわけか、その名前の由来ともいうべき三日月形はかなりいびつになり、逆にすぐ脇にもうひとつ水溜りができて、それとつながってしまっていて、もう台無しだ。今後はどうなっていくのだろうか。

    帰途に就く頃には夕陽も砂丘の向こうに隠れ、きれいなシルエットの写真が撮れた。出口まで戻るのもまた駱駝のお世話になる。どこまで行っていたのか、ずっと遠くから戻ってくる観光客を乗せた駱駝の一団もいる。
    ホテルに戻る車の窓から、丸2日前には太陽の真上にあった月が、今や細い輝きとなって、夕空にその姿を現しているのが見えた。

    9/10/2008

    敦煌 (その2)

    8月3日

    予定表では昼食後陽関に行った後に (陽関の近くの) 農家訪問となっていたが、まず陽関に向かい、「陽関農家園」というところで昼食だった。葡萄の棚の下にテーブルと椅子が並べてあって、そこで食事。食べ物は、まあ野菜が多いメニューだったが、それほど特別というほどでもなかった。今回の旅行を通して、それほど特別という食事は出てこなかった。イスラム系の民族などもそれなりにいる地域なので、そういう食事が出るかとも思っていたのだが、そういうのもなかった。

    そして、その農家園の裏手に回るともう砂漠で、陽関博物館はすぐそこだった。関所のような立派な建物が立っているが、これは博物館自身の建物。昔からのものではない。アトラクションとして、おみやげ用に昔の木でできた通行手形を模したものを買うと、それ風の衣装をまとったおじさんが日付と名前を書いてくれ、次の場所で、今度はそれにハンコを押して通してくれる。

    電動カートに乗って本当の陽関のあった場所まで行くが、当時のもの烽火台を除いて砂にうもれてなくなってしまったということで、その場所に記念碑だけが立っている。あとは観光用の観望台。ここにも、馬に乗せてくれるおばさんたち。

    敦煌の街と陽関の間は結構距離があるが、間はやはりほとんど何もない砂漠。行きとおなじだけまた車で走って街に戻る。

    次は、敦煌博物館。ちゃんと館員が日本語で解説してくれる。敦煌に来てから、やはり観光客が多いせいか、どこに行っても日本人向けのサービスがよく整っているような感触を受けた。ひととおり案内された後は、みやげ物売り場でお茶を出される。ローカルな音楽ビデオをデモしていて、実際は敦煌のものではなくて新疆のものだが、面白そうなので購入。

    ここで、一旦ホテルに戻って少し休憩。

    9/8/2008

    敦煌 (その1)

    8月3日

    敦煌のホテルに到着後、部屋で少し休憩。窓からはすぐ向こうに鳴沙山の砂丘が見える。そして、ホテルで夕食。最初の案内では夕食は屋台でと書かれていたことから、食事はしたけれどもその屋台街にみんなで行ってみようかと、8人一緒に向かう。ホテルは街のちょっとはずれるあるが、そうはいってもそんなに大きな街ではないので、街の中心部にある商業歩行街まで、歩いてもそれほどでもないので、腹ごなしの散歩がてら歩いていく。経度が中国の標準時刻の経度よりずっと西なので、夏で日が長いことを割り引いても、サマータイムでもないのにかなり遅い時間になっても外はまだまだ明るい。

    歩行街にはみやげ物屋がずらりと並び、脇のビルをくぐると奥は中庭のようになって、食べ物やがたくさん並んでいる。その場その場で小さなカラオケの機械で歌を歌っていたりもする。しかし、結構、ひとつひとつブースに区切られていて、あまり雑然とした屋台という雰囲気でもない。そことは別に、通りを反対の端近くまで行くと、そちらにも食べ物を売っているエリアがあり、そこでビールと羊肉串をいただく。物色していると、あちらからもこちらからも声がかかり、勝手に場所を用意しだしたりするが、誰と誰が同じ店の人かわからないので、どうしていいかわからないくらいだ。ハルピンの羊肉串は竹串だったが、こちらは金属製の串で、長さも長い。日本の焼き鳥や串焼きで想像するほど、たっぷり肉がついているわけではなくて、どちらかというと串に肉がへばりついているという感じなのは同じだ。

    売っている飲み物に、「杏皮水」という、敦煌特産と書いてあるものがあったので試しに買って飲んでみたが、あまりおいしくなかった(笑)。入れ物が、安っぽい薄くて透明なプラスチックのカップに上をフィルムを貼って封をしたような、いかにもローカルで作ってますみたいなものだった。写真は、なぜか逆さにして置いてあるところだ。

    もう1枚の写真は、別に敦煌だからというものではないが、中国って、よく道端で金をとって体重を計ってくれるのあるよね、と言ったら、中国に行ったことのある人でも知らないという人が結構いたので、たまたまみつけたのの写真を撮った。下が切れてしまって写っていないが、体重計の乗るところがついていて、体重と身長を同時に計る自動式の機械だ。

    8月3日

    明けて翌日は、丸々敦煌に滞在して観光。まず最初は莫高窟。見学の予約が大変なせい、朝一番の早い時間。莫高窟は、瓜州から敦煌にくるときに道沿いにあった山脈が敦煌の近くで砂丘に変わるあたりにあるので、敦煌の町を出て鉄道の駅と空港のあるあたりで道を曲がって向かう。

    莫高窟内は写真撮影禁止、大きい荷物も禁止なので、カメラともども預けてから中に入る。ここでは専門のガイドさんがちゃんと日本語で解説してくれる。最初から外国人向けガイドの追加料金のついた入場券である。我々8名で1グループだが、1人で来ている日本人がいるので、一緒になっていいかということで、同じグループに入ってもらう。

    学校の非常勤講師をしていて、夏休みを利用して中国を旅行しているという女性。以前中国に留学していたこともあり、中国語はぺらぺらだ。旅行中に日食の話を聞いて、日程的に無理なく来れそうだったので、当日は嘉峪関の懸壁長城で日食を見たそうだ。さすがに我々のような観測場所へ行くのに参加はできなかったろうが、それでも十分だろう。ビザなしでは15日しか中国にいられないが、もっと長期間旅行しているので、よく深圳あたりに滞在している人が一旦香港に行って戻ってきて1回の滞在期間をリセットするように、この後キルギスタンだかどこだかに一旦出て戻ってくる予定なのだそう。

    窟の中は真っ暗なので、懐中電灯を持っていくといい。私は特にそのために用意してきたわけではないが、だいたい海外旅行では荷物に入れてある Mag Lite LED があったので、それを持っていったが、ちょっと光量不足だった。手近なものを見るにはそれでも十分役に立つが、少し遠くを照らすには力不足だ。まあ、ガイドがもっと明るいライトで照らして説明してくれるのでいいのだが。

    たくさんある窟には、一般公開されているものと、そうでないものがあり、一般公開されているものの中でも、どれとどれを見せてくれるかはガイドさんまかせで、今回訪れたのは、96, 130, 148, 244, 249, 259, 55, 328, 16, 17。途中、窟内の二酸化炭素濃度が高くなっているので閉鎖というのがあった。私とOさん一家は、特に思い入れはなくそれだけにしたが、aripさんは、ラジオ中国語講座に出てきた45窟を、また、TaさんとToさんは、57窟をそれぞれ追加料金を払って見学。

    観光のために公開していると損傷が進むので、5年後くらいには閉鎖して観光はできなくなるそうなので、見に行きたい人は、早めに行った方がいい。そういえば、カメラは持ち込み禁止なので、中の写真はないが、後で考えてみたら、iPhoneはそのまま持ち込んでいたので、メモをしてるふりをして写真を撮ることができたかもしれない。でもまあ窟内は暗いのでiPhoneのカメラではちゃんと写らなかったかもしれないが。

    莫高窟の後は、敦煌の市内に戻りがてら、絨毯の実演販売の店に立ち寄る。パッケージツアーのお約束なので、いちおう見るだけ見させていただく。実際にはほとんどその場で製造しているわけではないが実演のためにやっている絨毯製作の実演を見せられ、そのあと広い店内にたくさん並べられている絨毯をながめるが、まあもともと買うつもりはない。すぐに出て行ってしまわないように、出口は最初はわからないように閉まっていて、てっきり入ってきた方から出るのかと思って、戻った方で待っていたら、後で本当の出口が開いて車もそちらの方に移動して待っていた。

    9/2/2008

    嘉峪関から敦煌へ

    8月2日

    昼食の後は、午後まるまるかけて嘉峪関から敦煌まで車で移動である。約5時間かかる。シルクロードに沿って高速道路 (嘉安高速) が走っているので、ひたすらそこを走るだけである。中国の道路は路面があまりよくない印象があるが、高速道路はまあまともである。

    周囲はほとんど広漠とした風景が続くのみ。道路沿いに、漢の時代の長城の跡が見えたりする。嘉峪関が万里の長城の西の端と言われるが、明の時代に一番西端の関所が置かれた場所というだけで、こういう長城の跡は嘉峪関より西にもある。また、途中に大規模な風力発電所 (玉门风电场) があった。道の両側に幾グループかあったように思うが、Google Map で探しても1ヶ所しか見当たらない。やはり、写真が古くて建設前のものなのだろうか。途中で休憩したサービスエリア (玉门服务区) も探したが、違う場所のサービスエリアは見つかるが自分たちの寄ったところらしいものは見たあらなかった。サービスエリアは、がらんとしていて、ガソリンスタンドと売店がある。道路の交通量自体そんなにないので、サービスエリアに立ち寄る車もほとんどいない。売店ではお菓子や、冷えてない飲み物が棚にたくさん並んでいるのだが、立ち寄る客の数から考えると、とても売りさばき切れない量に思えた。一体どうなっているのだろう。

    嘉安高速は瓜州までである。瓜州は少し前まで安西という名前だったが、昔使われていた瓜州という名前に最近改名された。ちょうどここで敦煌への道は左に分岐する。まっすぐというか道なりに北上する方向に行くとウルムチの方に向かう。瓜州から敦煌までは嘉安高速ほど立派な道路ではないが、やはりきれいに整備されている。その道をまたひたすら走る。この区間は南側に低めの山脈があり、こちら側はずっと乾燥した平地である。道路は少し盛り土をして平らにしてあるが、どうも、この乾燥した土地にもたまに大雨でも降って山から流れ出てくる水が、行き場がなくなって道路を崩さないようにか、一定間隔で道路のしたに水の逃がし穴があって、その両脇に両側からそに水を導くように斜めに盛り土の壁が築かれている、のだと思う。平原のど真ん中のそこここに、小さな土を盛った山のようなものがあり、現地の人のお墓だという。

    やがて山脈の先に砂丘が見えてくると、敦煌の街はもうすぐである。街の少し手前、道路の南側には空港が、そして右側にはに2006年に開業した鉄道の駅がある。駅自体はできているが、駅前広場にあたるところはまだ工事中の様相で、何もない感じだ。

    そして、街に入り、街の中心を通り過ぎて、街の西はずれにある今夜の宿、敦煌陽光大酒店に到着した。

    9/1/2008

    2つの懸壁長城

    ちょっと旅行記からははずれるが、嘉峪関の懸壁長城が2つ存在することについて。

    私たちが登った懸壁長城の他に、近くにもうひとつ似たような、山に登っている長城がある。私たちのツアーは全くそこに寄らなかったのでわからなかったが、私たちの行ったところと同じように、入場料を取って観光場所としているそうである。嘉峪関の街の方からやってくると、手前の方がそのもうひとつの長城で、奥の方が私たちの行ったものである。Google Maps によると、手前のには“石关峡悬壁长城景区”、奥のには“悬壁长城石关峡文物景区”と、ちゃんと2ヶ所にそれぞれ名前が書いてあるが、この名前の違いはあってないようなものだ。しかし、私の手元の「地球の歩き方 西安・敦煌・ウルムチ '07~'08」には、2つあるようなことは何も書かれていない。掲載されている写真は、私たちの登った奥の方のものだ。ネット上の個人の書き込みによっては、この奥の方は本物で、手前のはニセモノだと書かれているものもある。

    調べてみると、奥の方は1987年に修復されたもの。手前の方は最近になって、個人が私財を投じて修復したものらしい。そういえば、関口知宏の中国鉄道大紀行で、その話をしていた。そのとき紹介されていたのは、この手前の方のものに違いない。全く何もないところにニセモノを作ったわけではなくて、こちらも昔にあったものを修復したのには違いないだろう。奥の方のものだって、わずか20年ほど前に修復されたもので、長い歴史からみれば、つい今しがた作り直されたものである。入場口から長城が山を登りはじめるまでの間の真っ直ぐな区間はあまりにきれいなので、私はてっきりその部分はそこまで行くために全く新しく作られた通路かと思ったくらいだ。実際はその部分ももともとの長城で床面の石は昔のものらしいが、両側の壁は全部修復されたものと思われる。

    現在の Google Earth の画像を見てみると、写真が古いせいで、手前の長城の方は、平地の部分から山に登りかけた1つめの烽火台の少し手前までしかきれいにできておらず、その先、もうひとつの烽火台までは修復が完了していないことがわかる。逆に言うと、何もないところに作ったのではなくて、実際に昔の長城の跡がそこにあったということだろう。

    この付近の地形を Google Maps やGoogle Earth で見てもらうとわかるが、嘉峪関付近の地形は南北を山にはさまれた河西回廊が、まさにこの懸壁長城がある山脈 (何という名前かわからないが) が嘉峪関の西北側にあることによって平地で通過できる部分が非常に狭くなっている。それゆえに、関所が置かれたわけだろうが、関所から南側には南側の祁連山脈から流れ出てくる峡谷によって自然障壁となるところまで長城が築かれ反対側が、こちらの山脈なのだが、その山脈の近い端に長城をつないでおけばよかったかというと、もう少し行った、この懸壁長城のある場所には谷があって、その谷沿いに来ればこの険しい山脈を越えるのが容易なので、その谷の出口をふさぐ必要があって、ここに懸壁長城が設けられたのだろう。長城はわざわざ山脈の手前の平地を延々やってきて懸壁長城につながっている。谷の口をふさいだだけでは谷沿いに近くまでやってきて、最後だけ少し脇の山を越えて攻めてくるかもしれないので、それを防ぐために長城を山の上にまで伸ばしたのが懸壁長城だろう。そういう意味では、谷の両側をふさぐのは理にかなっていて、懸壁長城が谷の両岸に2つある方が自然な姿といえるのではないか。

    とまあ、色々書いたが、素人が Google Earth で地形を眺めて想像しただけなので、どこまで当たっているかは保証の限りではない。

    8/31/2008

    嘉峪関、懸壁長城

    8月2日

    日食の翌日からは、もう日食の天気の心配や何やも忘れて、ゆっくり観光に専念できる。観光する先も、日食の前のものはそれほど目ぼしいところがはなかったが、日食後に訪れる場所は有名どころ目白押しである。

    と いっても、夜には敦煌に到着するのに途中5時間の車での移動があるので、嘉峪関付近では午前中しかなく、結構急ぎ足である。嘉峪関で見るべきところは、前 日に行った魏晋壁画墓を除けば、いずれも万里の長城に関するもので、3つある。長城に設けられた嘉峪関の関所そのものと、長城の端が渓谷の岸に到達してそ こで終わっている (そこから始まっている) 「万里長城第一墩」。そして、関所をはさんでその反対側にある、頂上が険しい山に登っていく「懸壁長城」である。時間の関係か、このうち、万里長城第一墩 は今回のコースには含まれておらず、訪れていない。

    まずは、街からそれほど遠くない、嘉峪関の関所。博物館などと一体になった大きな観光施 設になっているが、添付写真の地図で右側の駐車場近くの入り口から入って、途中までは電動カートで一気に行く。そこから更に少し歩いて、地図の左の方の四 角くなっているところが、関所の建物だ。

    関所の外側は広漠たる原野だが、出たところには、観光用の駱駝や馬の案内のおばさんがいっぱい いる。関所の外側には、長城と、一定間隔で置かれた烽火台の跡がずうっと伸びている。関所は2重の城壁になっており、上をぐるりと歩いて回れる。城壁の上 から藁人形や的を狙って弓矢を射るアトラクションがあって、1本1元、1桶で10元 (1桶に何本入っているか確認しなかった)。私は5本でいいと、5元払って試したら、最初ははずし続けたが、5本目で命中した。ちなみに、弓そのものは昔 風のものではない。

    もう、日食のことは忘れているが、この付近も皆既食帯には入っていたので、前日にはここでも皆既食が見られた。実際、皆 既食帯の中で最も絵になる観光地は恐らくここなので、皆既の時間は短いものの、ここで皆既食を観測した人も多いだろうし、皆既日食のことなど知らずに観光 に来ていて、幸運(?)に驚いた観光客も多かったのではないか。実際、私が最初に日食を見に行こうとツアーを物色しているときに相談させていただいた方も、ここでの観測だった。YouTubeを探してみると、テレビ番組でここでの様子を映しているもののクリップもあった。次の懸壁長城の皆既食のビデオもYouTubeにある。

    そして、次は街からもう少し離れた懸壁長城。関所からここまではほぼ平地に長城が築かれているが、ここで険しい山に登っていく。というのが、売り、なのだが、北京の八達嶺の長城に比べてとりたててすごいとは思わなかった。山の斜面にそのまま長城を築いてあるのは同じで、八達嶺の方が延々登り下りが続いて、距離もずっと長かったので、きつさ加減はずっと大変だった。それに比べれば、こちらはその一区間分だけで終わりなのがわかっているので、確かに坂はきついのだが気は楽だった。八達嶺ではいちばん上の眺めが一番いい場所に記念写真屋がいたり、高い値段の飲み物を売っていたりしたが、ここでは別に何もなかった。高い金を払っても飲み物は手に入らないので、登る前に調達しておくべし。

    幅が狭くて、混雑すると登りと下りがすれ違うのが大変だからか、脇に普通の山道があってそちらから下りるようになっている。添付の、頂上から見渡した写真を見ていただくと、左の方に登ってきた長城。右手前のくねくねした道が、下り用の道。真ん中正面のまっすぐ向こうに向かっているのが、街に通じる道路。画面中央あたりから、その道路より右の方に斜めにまっすぐ伸びているのが、嘉峪関の関所につながる長城の跡。それより更に右に、平地をしばらく進んだ後、山に登っていって山の頂上に烽火台が見える。これがもうひとつの懸壁長城。ニセモノとも揶揄されているようだが、詳しくは次の記事で書くことにしよう。頂上から下り道に下りる付近には、“注意安全 小心跌路”の看板。

    この後は、再び昨夜泊まったホテルに戻ってそこで昼食。その後、いよいよ敦煌に向けた長い移動に入る。

    8/27/2008

    皆既食の後

    8月1日

    かくして皆既日食観測は終わった。また同じマイクロバスに乗り、他のバスと隊列を組んで観測場所を後にする。

    観測場所が荒野のど真ん中だと思っていたので、夕食が嘉峪関に戻る前に観測地の近くで食べるという予定に、いったいどんなところで食べるのだろうか、多少遅くなってもホテルに戻って食べればいいんじゃないの、とも思ったが、実は観測場所のすぐ北側にはちゃんとした街があって、それなりのレストランがあった。強いて言えば、トイレが個室に扉の無いタイプだったくらいのことか。たまたまポケットティッシュをもらってきたので記録のために書いておくが、店の名前は海沙龙大酒店。電話番号は書いてあるが、住所は上のほうが書いてなくて、いきなり解放路67号 (民政大路对面) と書いてあるが、さすがにネットで調べても出てこない。

    そういえば、以前の記事で、日本版のGoogleマップでは中国国内のデータがなく、中国版のGoogle地图では中国以外がないと書いたが、いつの間にかすべて統一されていて、どの国版の Google Maps から入っても、同じように全部の地域が見られるようになっているようだ。しかし、国によって表記がその国の言語で書かれていて、中国は簡体字で書かれていてまあそれでも日本人ならわからなくないが (しかし、アメリカ人が見たら困るだろう)、タイなんかは困ってしまう。アラビア語方面はアルファベットで書かれているようだが。

    話が脱線したが、そのレストランで、撮影したばかりのビデオやデジカメの写真を見たりしながら食事をした。その夜のそのレストランは全員が日食帰りの客でいっぱいだった。

    食事が終わって外に出るともう外は真っ暗である。明るい星がふたつくらい見える。ひとつは木星だ。バスに乗ってまた荒野の道に乗り出すと、まわりが暗くなって車の中からでも星がよく見える。西に向かう車のちょうど左手正面に大きく蠍座が見える。あまりに星がきれいなので、既にホテルに到着する時間が遅くなるのがもっと遅くなるのも構わず、車を停めて少し星空を楽しむことになった。空は日食を見ていたときとかわらずきれいに晴れている。日食の後だから月はもちろん新月で地平線の下なので、暗い星を見る邪魔にならない。普段日本で都会に住んでいては天の川を見ることもないが、それは中国で上海に住んでいる人にとっても同じだ。Oさん家の子供は、今回の旅行の中で何がいちばんよかったかと聞かれて、このときの夜空だと言っていた。

    後は車は一路嘉峪関に向かって走り、ホテルには11時頃到着。夜行列車の到着から始まった長い1日がこうして終わった。

    この間の写真はあまりないので、代わりに、日食観測中の他のグループたちの様子を載せておく。